米国に始まり米国にもどる すべり出しからきしんだオバマ政権と鳩山由紀夫政権 話の肖像画 元駐米日本大使・藤崎一郎<21>

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米国に始まり米国にもどる すべり出しからきしんだオバマ政権と鳩山由紀夫政権 話の肖像画 元駐米日本大使・藤崎一郎<21>
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《2008年5月末に駐米大使に着任した》

ワシントン勤務は2度目であり友人知人も多く、スムーズにスタートできた。ジョージ・W・ブッシュ政権末期とバラク・オバマ政権第1期の間務めた。ブッシュ政権には最後まできちんと接するように心がけると同時に、政権末期に外交的成果を残すため無理をしないか警戒した。ねじれ議会で法案は通せなくとも外交はできる。はじめは中東和平に取り組むが、米国内のユダヤロビーもあり難しい。そこで国内にひっかかりがない北朝鮮に目が向く。ビル・クリントン政権もそうだったし、ブッシュ政権もやはりそうなった。

政治任命の米国の政権幹部は日欧の官僚と違って在任中に個人的実績を積んで次のステップへ、という意識が強い。特にブッシュ政権末期には脚光を浴びるのが好きな国務次官補がいた。北朝鮮をテロ支援国家リストから解除するなど、北朝鮮の手に乗って走ってしまった。オバマ政権はワイシャツ腕まくりの対外的イメージと対照的に、守りが堅く実務的だった。鳩山政権は普天間問題で従来の合意を尊重しなかったことで米の信頼を失ったといわれる。しかし、政権が変われば政策が変わることはある。オバマ政権も前政権の計画を中止したものがある。現実的な代替案を提示できなかったことが問題だった。 鳩山政権が提唱した米国抜きの東アジア共同体構想も米国を失望させた。このとき知ったのは日本の政治家は地元などの講演や記者懇談では気楽、無防備に話すことがあるが、米国はそれらもしっかりフォローしているということだった。鳩山政権後、対米政策は軌道修正された。開かれた大使館にすることだった。例えば大使公邸で民間企業や非政府組織(NGO)に集まりをやっていただけるよう呼びかけた。公邸は国民のもので、われわれは一時的な管財人という考えからだった。大使館を訪問してくる学生たちがいれば会うようにしていた。

大使室のドアも開放した。大使室に説明にくるのは幹部だけだったので書記官でも専門調査員でも直接来てもらうことにした。当たり前だがオールジャパンの代表として各省出向者と外務省出身者で一切区別しないようにした。これはジュネーブ時代から同じで、大使館は外務省の出先でなく日本政府の出先という認識からだった。この意識は浸透し、東日本大震災のとき大きな効果があったのはすでに述べたとおりだ。 できるだけ多くの米国人に会うことを心がけた。議員や政府関係者、ジャーナリストとはしょっちゅう会っていた。ワシントンにいては米国は分からないといわれるので50州を回った。在京米大使館の職員が「ジョン・ルース駐日大使も47都道府県すべて回った」と言ったから、「それは大きさが違うよ」と言った。サウスダコタからノースダコタまで車で移動すると丸1日かかる。行ってその州特有の英語の発音や言い回しを聞き、土地の人に特訓してもらい、それを使ってスピーチしたりした。スピーチライターを使わず、全部自分で書いた。書くことで自然と覚えるので紙は読まなくて済む。またできるだけテレビや新聞のインタビューを受け、大学で講演し、進出日系企業を訪問した。今は違うようだが、当時は「日本は大事だぞ」と売り込んでいた。外交官の第一歩が米国留学でその後、在米大使館政務公使、北米局長など米国関係の仕事をやったので集大成として最後に米国に勤務できたことは幸運だった。米国はたしかに分断社会だし、もはや1強の時代ではない。しかしウクライナでもガザでも結局、鍵を握るのは米国だ。新しいものを生み出す力があり、親日的だ。やりがいがあった。(

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