<小学生の頃に見た『オーケストラがやって来た』から、米タングルウッド音楽祭で受けた指導、年齢と共に成熟していった指揮......佐渡だけが知る師匠・小澤征爾とは。好評発売中の本誌「世界が愛した小澤征爾...
第1楽章の幸福感に満ちあふれた冒頭部から、第2楽章の葬送音楽を経て、第3楽章で宇宙的な音楽の間に挟まれるトリオは、子守歌のように美しい音楽です。安らかにお眠りくださいという音楽のように聞こえてくる。やがて第4楽章の最後まで大きな一つの虹のようにつながっていく──。小澤先生も縁の深いウィーン楽友協会ホールでこの曲を指揮しながら、私は先生との出会いの日々を少しずつ思い出していました。
私が小学5年生の秋、テレビ番組『オーケストラがやって来た』の放送が開始されます。山本直純さんの司会で、小澤先生率いる新日本フィルが何度となく出演していました。毎週日曜日の午後、とても楽しみにこの番組を見ていました。クラシックに夢中だった小学生にとって、小澤先生は憧れの的だったのです。 初めて小澤先生が指揮する生演奏を聴いたのは、1975年6月10日。サンフランシスコ交響楽団の京都会館での来日公演です。私は中学2年生でした。指揮者は通常、舞台の下手(舞台に向かって左側)から出てくるものですが、このとき長髪の小澤先生は右側から小走りで出てきて指揮台に立ちました。格好はえんび服ではなく、森英恵さんデザインの白いジャケットにタートルネックでネックレス姿。ここで度肝を抜かれました。ああ、格好いい! と。
アイブスの「夕暮れのセントラルパーク」、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第27番」に続いて、最後に演奏されたのがドボルザークの「交響曲第9番」(新世界より)でした。「家路」で知られる第2楽章の演奏は今でも耳に残っています。テレビでしか見たことのない小澤先生を生で見られて、私は興奮していました。思わず、終演後に楽屋に立ち寄って、サインをもらっていました。
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