家康が休憩した腰掛け石、三成が代官赴任?東西両軍にゆかり「妙應寺」 岐阜・関ケ原町 岐阜新聞 岐阜
NHK大河ドラマ「どうする家康」で注目を集める徳川家康率いる東軍と、石田三成が指揮する西軍が戦った関ケ原合戦。関ケ原町今須の妙應寺(みょうおうじ)は、家康が休憩したとされる腰掛け石があるほか、三成が代官として赴任していたのではとの言い伝えが残るなど、東西両軍にゆかりがあるとして話題となっている。
合戦翌日の1600年9月16日、京都に向かった家康は、中山道今須宿本陣の伊藤新左衛門宅で休憩した。この地が「不破郡居益郷(ふわごうりいますごう)」であることを知ると、「破れ不(ざ)る郡に、ますます居(い)る郷とは縁起が良い。今破れずに居るのも天が味方したからだ」と喜び、伊藤家は、その時に家康が腰を下ろした石を「天下腰掛け石」として代々大切に保管。本陣が廃止された1870年以後は近くの青坂(せいばん)神社に移されていたが、2016年に伊藤家の菩提(ぼだい)寺である妙應寺に移設された。 また、町史によると、妙應寺周辺はかつて豊臣秀吉の直轄領で、1591年からは三成が代官を務めたとされる。代官所があった場所は不明だが、町歴史民俗学習館の飯沼暢康館長(66)は「三成が佐和山城主だったことを考えると、地理的、距離的にも代官所が妙應寺にあった可能性は高い」と分析する。
妙應寺はこのほか、合戦の大絵巻や、合戦後の混乱を防ぐために両軍が出した禁制などの史料を所蔵している。「東西両軍にゆかりのある寺は珍しいのでは」と47代住職の木船法圓さん(73)。ドラマの放送を機に多くの人に参拝してもらい町のにぎわいに寄与しようと、2月からは予約制で精進料理の提供も始める。「家康や三成に思いを巡らせ、戦国ロマンを感じてもらいたい」と話している。